2人の推しとか舞浜とか日常とか

推しと結婚について

最初に

きちんと記しておきます。

これは一個人が寝る前にふと考えたことを呟き、まとめたものですので、批判も何も受け付けません。ご了承ください。






NMB48の須藤さんの結婚発表を受けて。


推し』と『結婚』って
永遠のテーマな気がしません?


推しは、生物学的に人間である。

人間だから、好きな人ができる。
好きな人と結ばれて、戸籍を一緒にするという行為を一生でしたりすることもある。

しかし、人間である『推し』がその結婚という行為をすることが複雑な気分なのは、どうしてなのだろう。お金をかけたからだけの理由ではないと思うし。


上記の須藤さんの場合。
彼女が結婚発表をしても、祝福をされている様子が、見た限りではない。

彼女の場合は、『総選挙』というAKBグループにおいて、ファンが団結をして、金銭を使い、投票する行為により、順位が決められるというイベントにおいて、恋愛禁止というルールがグループ内にあるにも関わらず、今までの伝統、恋愛絡みのスキャンダルが発覚した人への粛清、それらや色々をすっ飛ばして、ただでさえ直前の開票イベントの中止の対応に追われていた運営サイドや、ファンが入っていない会場での婚約発表をしたために、批判が殺到しているのではないだろうか。



須藤さんやAKBグループとは違い、自分の推しは『恋愛禁止』とは公に掲げていない。だか、若手俳優界隈は、恋愛がカノバレによって発覚すると、叩かれる。

しかし、カノバレしたとしても、バレてしまった自身の甘さや、彼女が責められるのであって、恋愛をするという行為自体は責められない。若手俳優界隈でも、そのような見解が大多数であるように見受けられるし。


こないだ、某俳優が結婚を発表した時に、多数の祝福があった。だか、ファンをやめたりする方がいた。

そういえば別人物で嫁バレと子供バレを、自身のイベントで公表と謝罪を行っていた人も居たな。
アレは、須藤さんと同レベルの酷さだと私は思っている。


某俳優の話に戻ると、彼は全然結婚発表をするまで彼女の存在を世間にはバレていなかったし、俳優としては本当に綺麗な形で結婚発表をしたと、私は少なくとも思っている。

それでもファンはある程度離れてしまう。熱心であればあるほど。推しに対して使ったお金が給料となり、配偶者に消費されてしまうことが嫌なのだろうか。


推しは神ではない。神に見える人間なのかもしれない。一種の宗教なのかもしれない。夢でもあるのかもしれない。

そう考えると、人間らしい行為(ここでは『結婚』とする)を見て、一気に覚めることもあるのかもしれない。このような考えのファンが、結婚発表をした推しから、離れていくのかもしれない。



もしくは、ファンは気づかないうちに、推しに対して少しでもリア恋の感情があったのではないか。

推しと恋愛関係になりたいという願望を少なからず私は持ったことはある。しかし、そんなに引きずっているわけではない。キスシーンはショックだが、私のものになってとは思ったことがない。実際問題、私には彼氏という存在がある。


自分のものにはならなくてよい、だけど誰かのものになるのは嫌。という私の考えは、リア恋という意味で使われるのだろうか?

リア恋という言葉がライトな意味でたくさん使用されているのを見ていると、リア恋の定義が難しくなる。それと同時に、推しへの恋愛感情みたいな、そうでないような感情というのは、どこまでがリア恋なのかわからなくなる。

そして、そんなわからない複雑な気持ちを抱えたまま、推しが結婚するのは、やはり祝いたいけれど…という気持ちにはなってしまうのではないか。


もしかして、ここまで呟いてきた『結婚』とは、「誰か1人の配偶者になる」という概念と、『推し』という言葉が表すように、芸能人という特殊な職業において重要な「多数の他人の応援が無ければ成り立たない」という現実が対立しているから、どちらか一択ということが限りなく不可能だから永遠のテーマなのか?


もちろん 結婚も芸能人という職業も両立している方はたくさんいるが、人気の全盛期はやはり結婚していない時ではないか、と私は思っている。

人気をとるか、推しが自身の人間らしい行為をとるか、両立するのは不可能なのか。
推しがこの時に誰か1人のものになってしまう選択をする時に、ファンは離れていくのだろうか。


長く、まとまらなくなったけれど、、言いたいことは 推しの結婚って複雑な気持ちも生まれるよねってだけです。長文失礼しました。